- 建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ)※第九代開化天皇第四皇子
- 底筒之男命(そこつつのおのみこと)
- 中筒之男命(なかつつのおのみこと)
- 表筒之男命(うわつつのおのみこと)
- 大巳貴命(おおなむちのみこと)
- 月讀命(つくよみのみこと)
- 垂仁天皇(すいにんてんのう)
- 五十猛命(いそたけるのみこと)
- 櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)
大依羅神社(おおよさみじんじゃ)は創建1800有余年を遡る『古事記』・『日本書紀』・『三代実録』・『延喜式』等の国史書に記載されている式内の古社です。当地の豪族であった依羅吾彦一族が、その祖先である第9代開化天皇の第四皇子「建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ)」をお祀りしたのが起源とされています。
古代より豪族が治めていたこの地域には、広大な依網池の造営、天皇直轄領である屯倉が設置されていた《皇室との深い繋がり・国家にとって大依羅が重要な場所であった》ことが「古事記」・「日本書紀」などに残されています。
【必勝祈願の地】神功皇后が新羅征討の際、底筒男命・中筒男命・表筒男命の住吉三神の神託により戦勝と航海の無事を祈り「依羅吾彦男垂見」が住吉三神を祭る祭主を務めたことが「日本書紀」に記載されており、依羅吾彦一族が古代より有力な氏族として、朝廷とも関わる祭祀に深く関係していたと考えられています。
本殿右前のご神木[八衢の木(やちまたのき)]。昭和30年に落雷の直撃を受けましたが、長い年月をかけて再生しました。
大依羅神社の「水の神さま」といった謂れは、元々この地が池・川など非常に豊かな水に囲まれていたことに由来します。
長い歴史を持つ大依羅神社は「勝負運」「必勝の地」というご神徳がございます。
南門に作られた大依羅神社の勾玉。元々はこちらの南門側が正門でした。
「水の神さま」「勝負運の地」
大依羅の地は多くの人々に愛され長い年月をかけて育まれてまいりました。